【中国における法治主義 1】


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Q1 中国に法治主義は確立できるのでしょうか?そもそも中国は法治国家なのでしょうか?

中国は法治国家なの? A1 1978年の改革開放政策の開始以来、中国は法治主義を導入し、法治国家建設を推進し、社会主義市場経済法体系を構築しつつあります。中国でビジネスを手がけている、またはこれから手がけようとする日本企業や個人にとって、中国における法治主義の理解と中国の法制化への対応は今後ますます重要度を増してくるに違いありません。

日本では「中国は法治国家ではなく人治国家である」という認識があるようですところが、中国は歴史的に「人治」社会であるとの先入観にとらわられ、中国の法制・法治建設の流れに目を向けず、その改善、進歩状況を認めず、「中国は法治国家ではなく人治国家である」という認識がまだ日本では流通しているようです。はたして実際の現状はどうなのか。この問題に対して、今回は、中国における「法治主義」を分析し、その問題点を明らかにしたいと思います。




Q2 先生は、中国では法治主義が進んでいるという認識なのですね。
  では、いつから法治主義となってきているのでしょうか?

A2 歴史的にみてみれば、「法治主義」という概念は、中国古代からはあったといえます。「法治主義」という概念は中国古代からあったといえます
中国春秋時代の「法家」です。「法家」は中国の戦国時代の諸子百家の一つであり、「徳治主義」を説く儒家と異なり、為政者の恣意を抑制し、厳格な法という定まった基準によって国家を治めるべしという立場にたち、法を国家や社会秩序を維持する規範として、「法治主義」を説きました。 春秋戦国時代においては、国家活動は法によって支配されるのではなく、人によって支配されていました。これは「人治主義」といわれます。中国では法治主義が進んでいるんだね
この「人治主義」のもとでは、優秀な君主が国を治めている間は国家は隆盛を誇りますが、優秀な君主が死ねば勢力が衰えてしまうのが常でした。すなわち、国家の威勢は君主個人の能力によって決まりました。

しかし、秦では、商鞅による「変法」(改革)によって人治主義から法家の法治主義に転換し、君主の能力ではなく、法制度によって国家の勢力を維持することができたのです。



Q3 中国では、概念として法治主義が古代から存在していたことは分かりました。
  しかし、我々が今用いている法治主義と同じ意味だったのでしょうか?

A3 いい質問ですね。
ここで、しっかりと近代・現代における「法治主義」について説明しておきましょう。

ここでしっかりと説明しましょう近代国家の形成後、国家活動における人による支配を断ち、君主の恣意と専断を抑制するために、法による支配を要求する法治国思想や法治主義が確立されてきています。 近代における法治主義は、国家権力の恣意的行使により国民の権利利益が侵害されることを防止するために、国民の代表者としての議会が定めた法律によって行政をコントロールすることを要請します。

近代における法治主義は、君主の恣意的な「人の支配」が行われた絶対主義や警察国家に対する近代ドイツ法学に由来する概念です。 18世紀末までのヨーロッパでは、警察の力で国民を圧迫して社会の秩序を維持するという警察国家が多かったのです。
絶対君主が恣意的に行政を行っていた国家では、立法と行政は未分化の状態であり、市民の権利と自由を保障する法律は存在しませんでした。むっ・・・難しいのね

そして、19世紀に入ると、国民の自由主義への欲求の高まりにともない、警察の活動を公共の安全と秩序の維持に限定し、国民の行動や表現・思想など人権や自由を制限する国家の活動には、必ず国民の代表としての議会の同意、すなわち法律の明文の根拠を要するという法治主義の原理が確立されたのです。

上記の「形式的法治主義」においては、法律を通して統治が行われるのが「法治国家」だという主張が一般的でした。つまり、ドイツ的「法治国家」思想は、「法律」を通して支配が行われるべきことに力点を置き、「いかなる法律を通してか」を十分に問うことはありませんでした。

しかし、法律を通して統治されさえすれば、どのような支配も「法治」とされ、ナチスの支配すら「法治」とされることになります。近代法治主義の形式化という問題に対して、実質的法治主義の観点においては、法の形式だけではなく、内容上の正当性が追求されなければなりません。
すなわち、実定法としての「法律」は憲法、人権、法の一般原則、社会慣習や社会道徳などに適合しなければならないとされています。



Q4 そうすると、中国古代の「法治主義」は、近代・現代における「法治主義」と同じといえる
  のでしょうか?

A4 中国古代の法は、国家が人々を支配するために制定したものでした。中国古代の「法治主義」は、近代的または現代的法治主義と違い、「厳刑峻罰」(法律をもって民衆を高圧的に弾圧すること)のみを主張していたのです。
すなわち、法の下の平等という観念を持たず、利を好み害を悪むのが人間の本性だとする人間観にたち、民衆に教化することを考えずに、賞(利)と罰(害)を伴う法の適用による臣民の統御を唱えたのです。昔と今の「法治主義」って同じものなの?
「(君主の)口には天の憲法が含まれている」(口含天憲)や、「(君主の)言出れば、法これに従う」(言出法随)などの「法諺」のように、法治主義の中の「法」(=君主の命令)は君主などの権力者により制定されたものとして、臣民を拘束するものとして用いられていました。中国古代の「法治主義」は「厳刑峻罰」のみを主張していました

逆に、「刑は大夫に上らず」(刑不上大夫)、君主および権力者を拘束する法は存在していませんでした。
つまり、君主は、法から超絶しており、自由に法を解釈できたのです。



Q5 よくわかりました。古代の法治主義は、現代の法治主義とは異なっていたのですね。
  では、現代中国において法治主義は導入されたといえるのでしょうか?

よくわかりました! A5 中国においては1949年の建国以来、共産党の指導による統治が行われてきましたが、1978年の改革開放政策により、経済体制を計画経済から社会主義市場経済に転換させ、国有企業の改革、私企業の活動の承認、海外からの投資の奨励を実施し、経済建設という面では大きな成功を収めています。

特に、2001年末のWTO(世界貿易機関)加盟前後を境とした経済成長のスピードは目覚ましいものがあります。この改革開放およびWTO加盟が中国を人治主義から法治主義へと進展させる契機となったのです。中国の経済成長のスピードは目覚ましいものがあります
中国は、1999年の改正憲法に「依法治国」として「中華人民共和国は法による国家管理を実行し、社会主義法治国を建設する」ことを規定し、2010年を目途に社会主義市場経済における法システムの構築を国家目標として掲げています。